
最近ふとリールで流れてきた「ホストコール」や「ラストコール」といった、
地上波の電波では出てこないホストやキャバ嬢が、
対同業に整形費用を整形費用をかけてプレゼンする番組を観た。
内容が特質面白いということはないのだけど、
人を沼らせることに関して、彼らはとんでもない術者である点が
この番組を楽しむポイントではないかと推測する。
会話の返し方、褒め方、観察力、処世術を身につけて、
自分自身をエンタメの商品としている姿はとても勉強になる。
一方、このような危うい人達が、
価値観がまだ固まっていない子どもに悪影響をもたらすとか、
社会的に悪のような存在として語られることもある。
いやいや、私から言わせれば悪いコンテンツなんて昔からたくさんあって、
それを大人がきちんと論理的に子どもに説明して、
少しずつ善悪の価値観を築いていくことも教育というのではないかと思ってしまう。
もちろん、子どもが何のフィルターもなく観れてしまうことについては
色々な意見があると思うけど、どっちかというと子どものように
善悪の判断ができないダサい大人が増えてるやないか、
と思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
前口上が長過ぎてすみません。笑
沼る=依存するということ。
この番組を観ていて思ったのは、
依存することが必ずしも悪いことではないということ。
人は依存すること自体が問題という訳ではなくて、
依存先が少ないことの方がしんどいんじゃないかと思った。
例えば恋人が唯一の依存先だったら、
その人から連絡が来ないだけで一日がつまらなくなる。
仕事しかなければ、
仕事がうまくいかないだけで自分の価値まで下がった気がする。
逆に考えると、恋愛も、仕事も、友達も、料理も、音楽も、服もある人は、
一つがダメな日に別の場所へ逃げられる。
逃げるというとネガティブな意味に捉えられがちだが、
人生を生きる上では、一つの扉が閉まった時に
隣の扉から普通に出ていけるくらいがいい。
依存の反対側に、自立という言葉がある。
自立している人とは、誰にも何にも頼らず生きている人だと思っていた。
でも最近は、頼れるものをたくさん持っている人の方が、
逆に自立しているんじゃないかと思う。
一つに100を求めない、という考え方だ。
一つの場所に自分の幸せを全部預けるより、
10くらい幸せにしてくれるものを、10個くらい持っておく方が
軽やかに飄々と過ごせるのではないかと思ってしまう。
ホストやキャバ嬢がすごいのは「好きにさせる」だけじゃなくて、
自分を相手の生活の中で大きな割合にしていくことなのではないか。
そういう意味で沼るというのは、その人を好きになることではなく、
自分の中でその人の占有面積が大きくなりすぎることなのかもしれない。

服もある意味、依存先の一つだ。
テンションが上がらない日に、お気に入りのパンツを穿く。
鏡を見て、今日はこれでいけてると思える。
知らない人に褒められて、ちょっと機嫌が良くなる。
服が人生を救うなんて言うと大袈裟だけど、
一日の機嫌くらいなら救えることがあるのを知っている。
Spomenikが人生の中心になる必要なんて全くない。
寧ろ、そんなに沼らないで欲しい。
美味しいものを食べて、好きな人と会って、仕事して、
音楽を聴いて、たまに一人になって、
その中の一つに好きなパンツがある。
そのくらいの距離で、
長く誰かの生活にいられたらいいなと思う。
自分を幸せにしてくれるものは、多ければ多いほどいいな。
ということで最近は、依存先を増やすことにしている。
早速そのうちの一つだった車を電柱に擦ってしまい、
結構ショックだったけど1日で立ち直れたことを考えると
依存先は既にたくさんある気がしてた。
皆様に素敵な依存先が見つかりますように。